半年ぶりくらいで記事を書きます. 大学教員になって4年が経ちましたが, 同じ場所に4年もいるといろいろと仕事が増えて多忙になります. 学部運営などで重要な役割を任せていただけるのはありがたいことであり, 4年前にこの大学に拾ってもらった恩返しの意味でも大学に献身する所存ですが, 教員の本分である教育と研究に思うように時間が取れないのはもどかしいところです.
AIにノーベル賞の衝撃
今月発表されたノーベル物理学賞および化学賞には本当に驚きました.
AI (機械学習)を含む計算機科学界で最高の栄誉は, 計算機科学のノーベル賞と言われるチューリング賞であり, 今回の受賞者の中ではヒントンが, ヨシュア・ベンジオ, ヤン・ルカンとともに2018年に受賞しています. その意味では, 少なくともヒントンはすでにこの分野の頂点を極めていたはずなのに, 計算機科学から「本物の」ノーベル賞が出るとは, 誰が想像できたでしょうか?
日本人研究者の功績を再認識
今回のノーベル賞の授賞理由の中で, 2人の日本人研究者に言及があったと言います. 一人は東大名誉教授の甘利俊一先生, もう一人はNHK技術研究所の主任研究員や大阪大学教授を務められた福島邦彦先生.
機械学習にノーベル物理学賞 「源流」に日本人研究者 AIの発展 大きな貢献:東京新聞 TOKYO Web
畳み込みニューラルネットワーク(CNN)の原型であるネオコグニトロンを, 福島先生がヤン・ルカンのCNNよりも10年早く提案していたことは有名です. また甘利先生は, 人間の連想記憶の能力を計算機で再現するホップフィールドマシンと同等のアイディアや, ヒントンの誤差逆伝搬法に相当する確率的勾配降下法(SGD)を, やはり本家よりも10年以上前に発表しています. 世間で「なぜ甘利ではなくホップフィールドとヒントンなのか?」という批判があるのはもっともであり, 人々に十分に知られていない功績に光を当てるのがノーベル賞の役割ではないのかという気もしますが, 個人的には, 我が国の先人たち(お二人とも1936年生まれの88歳)が成した偉大な仕事を誇りに思うばかりです.
地位が低下する日本
問題は過去よりも現在であり, 未来です. 特に憂慮すべきは我が国のAI研究の現状です.
ノーベル賞自然科学分野、AIがダブル受賞 存在感失う日本、専門家「評価の多様性を」 - 産経ニュース
東大教授で理化学研究所革新知能統合研究センター(理研AIP)を率いる杉山将先生はこの記事の中で, 「研究室の博士課程の大学院生20人のうち日本人は1~2人で, 大半は中国人などの留学生」と話します. ただし, 私が知る限り杉山研究室では公用語を英語にするなどの「国際化」が進んでおり, 留学生が集まりやすい環境ができているので, 日本の標準的な研究室とは違うかもしれません. とはいえ, 中国人研究者が世界中に進出しているのは事実で, 最近はちょっと面白そうな論文を見つけて読もうとしたら, どこの国の研究機関の発表でも, たいてい著者には中国人らしき名前が並んでいます. 逆に日本人の名前はほとんど見かけません. 学生にとって博士課程に進学することのメリットがなかなか見えない今の状況では, 日本のAI研究の低落は避けられそうにありません.
慶大教授で人工知能学会会長の栗原聡先生もコメントを発表し, 広く日本の基礎研究の未来について警鐘を鳴らしています.
基礎研究の重要性、“11月になれば”皆忘れる──AI研究者のノーベル賞受賞巡り、人工知能学会がコメント
まったくその通りです. ノーベル賞は数10年スパンの長期的な取組みの結果であり(例えば物理学賞のホップフィールドマシンや誤差逆伝搬法は40年前の仕事), 実用指向で短期的な成果を求める今の科学技術政策ではジリ貧に陥るでしょう. というかすでにそうなっており, 日本からノーベル賞が出ることはもうないのではないかという人も多いわけですが.
ムーンショット?
もちろん国も無為無策ではなく, 政府のムーンショット型研究開発制度などは, 長期的な投資によって大型成果を創出しようという試みです. が, やはりどうしても, 「社会課題解決」のようなわかりやすい御利益が説明できないと研究予算を付けられないようで, 短期的実用指向の縛りから抜け出せていません. 基礎研究は何の役に立つかわからないのが当たり前なのに.
例えば, 全部で10あるムーンショット目標の3番目は「2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現」とされていて(10個もあるのかよというのはとりあえず置いておいて), その下に8つのプロジェクトが設置されています. そのうちの一つ「人と融和して知の創造・越境をするAIロボット」などは人間と協働して革新的な研究を実行できるロボットを開発するというもののようですが, これ, そもそもロボット必要ですかね? 身体を持たない生成AIの開発にフォーカスした方がよいように思うのですが, 上位目標が「ロボットを実現」なので無理やりロボットを開発する体にしているのでは? プロジェクトを率いる牛久祥孝さんをはじめとして, プロジェクトメンバーは誰もが認める優秀な研究者ばかりなので悪く言うつもりはありませんが, 上位目標に(日本が伝統的に得意とする?)ロボットを置いたばかりに, その下の実働部隊の動きが制約されているように見えてなりません. さらに言えば, このプロジェクトが2030年までに達成するという目標は, 2024年8月にSakana AIが発表したAIサイエンティストによってほぼ達成されているように思われます.
Introducing The AI Scientist: The world’s first AI system for automating scientific research and open-ended discovery!https://t.co/8wVqIXVpZJ
— Sakana AI (@SakanaAILabs) August 13, 2024
From ideation, writing code, running experiments and summarizing results, to writing entire papers and conducting peer-review, The AI… pic.twitter.com/SJuat9a2Uw
高い山には広い裾野が必要
1990年代初頭のバブル崩壊以来, 日本経済は衰退し, 国も企業も大学も研究投資が思うようにできなくなったことから, 研究テーマを絞る「選択と集中」の必要に迫られました. それ自体は悪いことではないのですが, 研究という営みの性質上, 選択して集中したテーマが「ハズレ」になることもあるという点をもっと考えた方がよいと思うのです.
研究費の「選択と集中」はやっぱり間違いだった|コラム:現場的にどうでしょう
1年ほど前に書かれた上の記事は, 研究費と研究成果の関係をデータから分析した筑波大学の研究発表を取り上げて曰く,
山を高くするには広い裾野が必要です。逆に言えば、狭い裾野の上に突き抜けた山を築くことはできません。
…基礎研究の本質を言い当てていると思いませんか?
もっと重大な問題
最後に, 話をノーベル賞に戻します. 個人的には, AI研究がノーベル賞を受賞したことにはもっと大きな意味があるように思います. すなわち, 科学研究の主体が人間からAIに置き換わるということです. 今年8月に発表された前出のAIサイエンティストは, AI分野のトップカンファレンス, NeurIPSに採択されてもおかしくないレベルの論文をAIに書かせることに成功したというものです. また, OpenAIが9月に発表した新たなAIモデル, o1は博士課程の学生と同程度の知能を有するとされます.
OpenAI launches new AI model o1 with PhD-level performance | VentureBeat
この夏に開催された汎用人工知能研究会(SIG-AGI)のパネル討論では, 私の学生時代の師の一人, 神戸大名誉教授の松田卓也先生(昨年末の記事参照)がスペシャルコメンテータとして登壇されて, このようにおっしゃっていました.
2030年以降, 科学者は研究をする必要がなくなり, 科学評論家になっている.
研究者の端くれとしては実にショッキングで受け入れたくない発言ですが, 実際に数学や物理学の研究に深層学習の手法を取り入れる事例は急速に増えています. ノーベル化学賞の受賞理由になったAlphaFoldが化学研究を一変させたように, いずれ科学全般がAIに席巻され, やがて人間の出る幕はなくなるというのは想像できることです. 今回の出来事はつまり, 科学という人間の知的営みの「終わりの始まり」…かもしれません.
皆さんはどう思われるでしょうか? 今回もお読みいただきありがとうございました.

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